高校時代の恩師が他界していた

高校の同窓会会報が届いたので眺めていると訃報欄に高校時代の担任の名が載っていた。今年の5月に他界されていた。高校を卒業して以来同級生や担任とはすっかり没交渉で状況をまったく知らなかったものだから驚きだった。担任の生年月日は知らないのだが、私の担任を務めているときはまだまだ若かった。30後半ぐらいだったと思う。それであるから50歳前後で亡くなられたことになる。まだこれからという死が予想外の出来事であった。

私の高校時代はある種暗黒時代と呼べるようなもので、殻に閉じこもって他人と会話することなどほとんどなかった時期であった。心に大きな傷を背負っていたので、他人と会話する精神的余裕などなかった。何重にもガードを固めて心を要塞化していた時代だった。であるから、担任との思いでもまったくといっていいほどない。誠実でいろんなことに気を配る担任だった。職場の同僚や生徒に気を遣いすぎて、ストレスをためられていたのかもしれない。教師として立派な人だったのでもったいない死だったと思う。

ここ数日というもの歳月を感じさせる出来事が個人的に続いた。

LOVEマシーン」の発売を恩師の死と同列に並べることは変に思われるだろうが、99年というのは私の人生でひとつの転機になった年だ。この年、モーニング娘。の「LOVEマシーン」が発売され、私は人生ではじめてアイドルの握手会というものに参加した。LOVEマシーンの発売記念イベントが福井で開催されたのだ。奈良から福井まで下道を車で走って駆けつけた。イベントに参加し、壇上に登って生まれて初めてアイドルというものをすぐそばで見た。あまりのかわいさに驚いた。オーラに圧倒された。矢口がめちゃくちゃ小さかった。なっちがものすごくかわいかった。後藤真希が光り輝いていた。そして私はモーニング娘。の虜になった。その年はSPEEDの大阪ドームのコンサートも観に行ったが、この年が私がヲタに転落した年でもあった。「転落」とは文字通り、人生においても転落の契機だったやもしれぬ。

2001年の9月は、この時期は個人的にも不幸の連続でつらい時期だった。しかしニュースを眺めていて、あれからもう8年も経ったのかと、歳月の経つ早さに驚くとともに、自分も歳をとったなともの悲しい気分にもなった。8年経ち、この8年を振り返るに、私は人としてほとんど成長していないなと、それどころか退化というか悪くなっている部分が多々あるなと痛切に感じられたのである。悪くなったというのは誠実さがどんどん失われて、腹黒くというか薄汚れた人間になってしまったなと思ったのである。大人というのは嘘や打算など薄汚れた部分は多かれ少なかれあるものだが、さりとて誠実に努力する心をあまりに失ってはいないかと、あらためて省みるそんな一週間であった。

もう少し落ち着いて自分の人生を振り返るために、ヲタ活動を絞って月2回ぐらいに抑えることに決めた。ここ数ヶ月オーバーペースであったと思う。週末ともなればイベントやコンサートに出かけて、実生活がおろそかになっていた。もう少し自分の人生を長い目で充実したものにするために、当面のヲタ活動は抑えるべきだと思った。それにここ最近のヲタ活動は、ブログのネタのためだとか少し義務感的な変な動機での参加も多かったしね。だから参加数を抑えても構わないと思った。

恩師が死去した。私とてあと20年生きられるかわからない。これから20年どうあるべきか、どう生きるべきか、これを機会にじっくり考えたい。