田母神俊雄航空幕僚長論文を読んだ

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。

二国間で合意というよりも、無理矢理同意させられたのが日米安保条約である。吉田茂はこの条約の調印を随員を連れずひとりだけで行った。この屈辱的な事実上占領継続の条約にサインすることを他のものにはさせなかった。その責務を一身に負うためである。

1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

この論文ではたびたびコミンテルン陰謀論が出てくる。渡部昇一氏や櫻井よしこ氏の受け売りをそのまま真に受けているのである。開いた口がふさがらないとはこのことだ。そして渡部氏が日頃口にしていることを適当にまとめた論文を、渡部氏が審査委員長を務め最優秀賞を与えたのだから、茶番としかいいようがない。

張作霖列車爆破事件については、関東軍の河本大作大佐が自身の日記で関与を言及しており、またその後の陸軍の調査でも関東軍が組織的に行ったことが判明した。ソ連のスパイが行ったというコミンテルン陰謀論は、ソ連のスパイがこの爆破事件を自らの手柄にしようと自分が(爆破を)やったと帰国してから吹聴したためにスパイの記録として残っていただけである。実際に爆破事件を実行したのは紛れもなく関東軍である。

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
(中略)
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本も侵略国家であったが、イギリスもアメリカもソ連もフランスもオランダもベルギーもドイツも侵略国家だったのである。

一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。

満州国において五族協和嘘八百で、実質は政府も満鉄も日本人が中枢を取り仕切っていた。また満州の開拓も現地人を追い出し、日本人だけで村が構成されていたのである。

我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。

満州国建国は蒋介石国民党の何ら同意のないまま行われた。国際的にも満州国は承認されなかった。この満州国建国が中国本土でナショナリズムを刺激し、反日闘争を巻き起こすきっかけになるのである。

さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。

ベトナムはフランスと、インドネシアはオランダと苛烈な独立戦争を戦った。日本のお陰で独立できたというのは驕り高ぶりも甚だしい。現地人に失礼である。

アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。

よくあるアメリカの年次改革要望書に日本が支配されているという論調の影響を受けすぎのようだ。失われし90年代、日本経済がボロボロになったからこそ改革をしなければならないと声が巻き起こったのではないか。80年代の日本がよかったというが、あの日本的な既得権が保持されたままのシステムでよかったというのか。バブルに溺れ、株や土地成金が長者番付の上位を占め、額に汗して働くのがバカらしい風潮が世を占め、政治家の汚職がはびこり、正直者が馬鹿を見る風潮を作り出した80年代が。今の時代にもこの後遺症が残っている。特に「額に汗して働くのがバカらしい」「正直者が馬鹿を見る」が。コツコツ努力するという美徳が失われてしまった。これはバブル時代の後遺症である。

総じてこの論文を見れば、これが空軍大将の書く論文かと嘆かざるを得ない。幼稚、低レベルである。しかし無理もなからん。自衛隊が蔑まれていた時代。有能で志しある人間がそう防大に入るわけもなかろう。この田母神氏が出世するほど、人がいなかったのであろう。優秀な人間が力を発揮しようと思えば、わざわざ自衛隊に入隊しようと思うのは滅多にいないだろう。平和時において軍隊には活躍する場がない。まだ官僚になった方が、よほど自分の才覚が生かせるというものである。

野党は田母神氏を懲戒免職にすべきと主張している。しかし私はこの意見には同意しない。日本国憲法には思想信条の自由が保障されている。自衛官といえども法律上公務員である。一公務員が自らの歴史観を論文として発表したのを懲戒免職にするのは、憲法で保障された思想信条の自由を侵しているといわざるを得ない。日頃護憲を唱える社民党などが懲戒免職を主張しているのは滑稽だ。思想信条の自由をなんと思っているのだろうか。矛盾している。

一方で、憲法や法律には規定されてないが自衛官は実質軍人である。軍人は国家の意思に忠実でなければいけない。軍人が勝手な判断で行動すると、それは戦前の関東軍と同じである。軍人は国家意思、政治判断に従ってもらわなければならない。となると田母神氏は軍人としては不適切である。政府の歴史観を批判し、勝手に論文を投稿するのだから。であるからして、田母神氏を軍人と見るならば懲戒免職もやむを得ない。

私は憲法を改正して自衛隊は軍隊、自衛官は軍人とはっきり定めるべきだと思う。自衛官は軍人としてはっきり規定して、あくまでも政治判断には従ってもらうと。自衛隊という実質軍隊の実行部隊を軍隊なのか公務員なのか曖昧なまま放置するのが一番よくないのではないか。田母神氏を参考人として委員会に召致するのならば、そういうことを議論してもらいたい。