ありがとうZepp Osaka

Zepp Osakaが営業終了するというので潰れる前にもう一度中に入りたいと思い、DiVAのイベントを観に行ってきた。Zepp Osakaは4月8日の「THE GAME」のコンサートを持って営業終了。取り壊されて更地に戻り、大阪のZeppは難波に移転する。
私はチケットの半券は捨てずに手元に残してあるので、数えようと思えば数えられるのだが、たぶん50回ぐらいはZepp Osakaに入ったと思う。ちょっと枚数が多すぎて一枚一枚を数えはしませんが……。最初に行ったのは2000年2月13日(日)の椎名へきるのコンサート。整理番号 11組 63番。もう12年も前のことですよ。
あの当時のZepp Osaka周辺は更地ばかりで、でかいビルなんてまったくありませんでした。コスモスクエア駅あたりも更地ばかりでコンビニすらなく、コンビニ行きたければWTCビルまで歩く必要がありました。それぐらい南港は僻地でしたね。おまけにOTS線という別運賃を請求され、南港に行くのは割高な時代でしたし。
更地を遊ばせておくわけにはいかないのか、駐車場はたくさんありました。お陰で料金は破格の安さでしたね。一日どれだけ駐めても500円。電車が高かったので、私はもっぱら車で行ってました。車だとコインロッカーも不要ですし。
僻地エピソードをもうひとつ付け加えると、昔、モーニング娘。が南港の更地でコンサートをやりました。2000年4月29日(土)。会場はWTCオープンエアスタジアムと立派に銘打ってますが、要は空き地です。風が吹くと砂塵が舞いました。そんだけ酷い場所でした。まあでもこういう酷い話も、ヲタ武勇伝みたいなもので、今となっては笑えるエピソードです。
昔話ばかりで恐縮ですが、松浦亜弥の最初のコンサートツアーは前半戦がライブハウスばかりで、関西はZepp Osakaが会場でした。土曜は昼夜2公演、日曜は朝昼夜の3公演開催。新人アイドルをこき使いますねえ。やる方も大変ですが、見る方も大変です。最前付近は毎回押し合いへし合い。今はマノフレ老人会などと揶揄されてますが、昔はハロヲタも若かったのです。当時はまだ若かった私も、この争いに毎回参加して、ライブが終わるたびにサウナ風呂から帰ったような状態になってました。
うっかりメガネなんかで参加したら大変です。メロン記念日のライブでは、私のメガネを吹っ飛ばされて踏み潰されてしまいました。ま、これも今となっては笑える話です。
昔話ばかりになってしまったのは、きっと自分の中で新鮮な経験が減ってしまったんでしょう。歳をとったんでしょうね。だから新しくZepp Nambaが開業しても、あとから笑えるようなエピソードもなかなか得られないかもしれません。しかし結論がそれでは悲しいので、違う経験をしたければ、いろいろ違う現場に足を運んでみますか。性懲りもなくね。